2012年6月25日月曜日

hummingbird をはじめるまで。 その4

まだまだ涼しくて過ごし易いですね。
今年の夏はどのくらい暑くなるんでしょうか。
猛暑と呼ばれる年がここ何年か続いているので、夏が来るのがちょっとこわい。

さて、前回の続きを。
色んな事に疲れきってしまった私は製造業を離れ、子供服の会社へ。
通販事業部でのお仕事でしたが、可愛いらしい、ちっちゃな洋服や靴に癒されました。
3年も過ぎると、やっぱり「作りたいな、」と思い製造業に戻る。
辛かったことは忘れてしまうもんで、結局作りたくなるんです。

パン屋さんで職を探していたけど、とても気になる求人をみつけた。
国産やオーガニックなど、素材にこだわったドーナツ屋さん。
今でこそそういう素材を扱うお店は増えたけど、当時はまだまだ珍しかった。
初めて食べたときほんとに「ホッ」とした。どこか懐かしくやさしい味わい。
素材の良さがそのまま体にしみわたる何個でも食べたくなる味。
ここにも3年近く居ましたが、有り難いことにほんとに色んなお仕事をさせてもらい感謝。
フランチャイズ展開をしていた本部に居たので、大変な事も多かったけど
色んな角度から物事を見れたような気がします。本当に勉強になった。
その後、ハミバを始めるのですが、ここでの経験がなければハミバに繋げられなかったと思います。

周りから見れば、自分で始める為に色々やってきたんだと思われがちですが、
直前まで、ハミバをやるつもりは一切なかったんです。や、ほんとに。
いわゆるサラリーマンで居る方がリスクが少ないと思ってたので。
基本的にネガティブ思考なので、危ない橋を渡ろうとしなかったんですね。

色んな事のタイミングが重なって、「やるしかないか、やろう」になった一瞬があったんです。
自信があったわけでもないのに、よく自分で踏み出す勇気があったなぁと今でも思いますが、、。
この判断が正しかったのかなんて、考えるのはやめました。
前へ前へ。ただただ進むしかない。

前に進めるのは、ほんとうにたくさんの方の有り難いお言葉、ご協力があってこそ。
一人でやってますが、一人じゃ何も出来ないと痛感させられます。

私の周りにも「自分でやりたい」と考えている昔の同僚や友達がいます。
簡単に「やりたいならやればいいやん!」なんてとても言えないけど、
現状で納得出来ないなら、後悔するなら、頑張ってみたらいいと思います。
焦らず、自分のタイミングで。

世の中やらないと分からない事だらけ。やって無駄になる事はない。
今までの経験がそう思わせてくれました。
この歩みが1年後、2年後、、どう変化していくでしょうか。
「hummingbirdの焼き菓子」ではなく「しまだおばあちゃんの手づくりクッキー」という
屋号が似合うくらいの歳になるまで続けていけたらいいですけどね。頑張ります。



皆様、いつもありがとうございます。
hummingbird 末永く見守ってください。








2012年6月16日土曜日

hummingbird をはじめるまで。 その3

梅雨ですね〜。紫陽花があちらこちらで花開いてキレイですね。
こんにちは、ハミバの島田です。

では、大しておもしろくはない前回の続きを。

急に職を失ったので、とりあえず次の職を探すことに。
そこで目に止ったのがパン屋さんでの製造スタッフ。
専門の学校に行かないとそういう所では働けないだろう、雇ってもらえないだろうと
ネガティブ思考な私は一瞬戸惑いましたが、そんなこと言ってる場合でもないし、
とりあえず一歩前へ。

未経験でも雇ってくれました。入ってすぐはちんぷんかんぷん。
意外と未経験から始める人が多い、体で、感覚で覚える世界でした。
何事にも意欲のなかった私が、仕事に大して「次はあれやりたい、これやりたい」と
休みを返上して先輩に仕込み教えてもらったり、しんどいけど楽しい時代。
「好きこそ物の上手なれ」その言葉通りに過ごした時間。
今、思い返してみても、たくまし過ぎてかなり可愛げなかったと思います(笑)
「もう、パン焼いてる後ろ姿が女に見えない」と周りから言われたり(苦笑)
そんなこんなで、7年近く働きました。ここでの経験は次にまた生かされる。

その後、某クッキー屋さんの製造工場にてありとあらゆる香料の存在に愕然。
それからは香料の入ってる食べ物が苦手になりました。
一年余りでしたが、ここでの学んだ事も数多く、また次に生かされる。

その後、また違うパン屋で働く。ずっと憧れて働きたかったお店。
でも、ここで働いていた期間はほとんど記憶がないくらい過酷でした。
仕事してるか、移動してるか、寝てるかだけの時代。睡眠時間4時間の毎日が続く。
繁忙期だったのでお昼休憩も行けず、トイレも行けず15〜16時間全力で働き続ける。
慣れない環境、慣れない作業工程、休みは週1日、10日連勤があったりで、それがまた辛かった。
「もう無理だ、もう駄目だ、倒れる、もう駄目だ、、とりあえず食べないともたない、、」
と人生で一番辛かった時代。時間がないので、電車のホームでひたすらチョコパイをかじり、
結果半年で8kg太る!!(笑)睡眠不足とむくみも重なりパンパンでボロボロの時代。
そういう環境でも、頑張ってついて行っておられる方々もいた。そう、私は挫折組。
「もう、やめよう、この世界は。私には根性が足りないんだ、向かないんだわ、次元が違うんだ」
そう考えて一旦製造業の世界から離れることに。
辛かったけど、それはそれなりにまた次に生かされる。


その4に続く。長いですね。すみません。
次でなんとか終わりにします。




2012年6月11日月曜日

hummingbird をはじめるまで。 その2

前回の続き。
しばらく、私がhummingbird をはじめるまでの事を書きますね。
イベントなどで時々「私も手づくり市に出たいんですけど」とか、
「将来自分で何かやりたいんです」とかその辺の事について質問されたりします。
あまり参考にはならないとは思いますが、今まで感じてきた事とともに書いてみたいと思います。
先に言っておきますが、たいして面白くはないです。はい。右から左へど〜ぞ〜。


今より全然「意欲」というものがなかった昔の私。
高校生の時、次の進路に「大学」「短大」に行きたい。と思った事がなかったんです。
単純に勉強が好きではなかったから。
製菓学校に行きたいという気持ちがない訳でもなかったですが、「授業料高いからやめとこ」
そのくらいの気持ちでそちらの道にも進まず、とりあえず事務のお仕事に就きました。
やってみないと分からないもので、どちらかというと、体育会系だった私には事務職というお仕事が、まぁ、合わなかった。。そのうち慣れるかと思って頑張ってみましたが、
やっぱり辛い。。間もなく退社。

かと言って、やりたい仕事というものがすぐに見つかる訳でもなく、だからと言って
悩む訳でもなく、なんとなく他の仕事して、なんとなく習い事して、なんとなく楽しい。
そんな平凡な日々を送っていました。

3年を過ぎた頃でしょうか、勤務先の会社に銀行からのひっきりなしの電話。
嫌な空気を感じつつ、普通に出勤。午前中仕事。お昼休みに呼び出し。
「うちの会社は自己破産しましたのでお昼からお仕事にこなくていいです。」と告げられました。

こんな事が本当にあるんだ。と身をもって体験しました。
まだ若かったけど、さすがに急に職を失うというのは焦りました。
だけど、運命なのか、何なのか。このきっかけがなかったら
今こうしてhummingirdをやっている事はなかったであろう。
人生って、色んなものが交差して、ちょっとしたタイミングやきっかけで変わっていくんですね。
「意欲」のなかった私だけど、少しずつ何かが変わりはじめていくのです。


ここからまだ長らく右往左往しますが、
その3へ続く。







2012年6月4日月曜日

hummingbird をはじめるまで。その1

大切にしているもの。


母親が新婚時代から使っているオーブン。かれこれ40年近く前のものです。
私が子供の頃は、このオーブンで母親がチーズケーキやマドレーヌなどを焼いてくれたものです。

小学生の頃、弟が少年野球を始めるようになり、土日に一人で留守番をする機会が増えた私。
暇なので、母のレシピを開き、見よう見まねで作るようになったお菓子。
手書きの母のレシピには「牛乳 大1」とか色々略して書かれていたので、その「大」の意味が分からず
コップ一杯の牛乳を入れたマドレーヌ生地はいつまで焼いても固まらず、(正解は大さじ1)
怒られる、、と思い、ゴミ箱の底の方に隠して捨てたりしたものです。まぁ、すぐバレるんですけどね(笑)

小学生最後の懇談の時には「お菓子ばっかり作ってても高校には入れないから
中学校行ったら、ちゃんと勉強もしなさい」と先生に怒られたを覚えています。
その後、やっぱり勉強はしなかったですが、無事に高校には入れました。

ハミバを始めて、業務用オーブンを導入してから出番がほとんどなくなってしまいましたが、
今でもちゃんと使えますよ。
ケーキもパンもローストビーフなんて洒落たものも何でも焼けます。
今は便利なオーブンがたくさん出回ってますが、子供の頃からの相棒である
この古びたオーブンを大切に使い続けたいと思います。
いつまで頑張ってくれるだろうか。なんせ私より年上だもの。